週刊「水」ニュース・レポート    2015年11月25日号

 

 

 

【今回厳選したニュース】

 

  • 「東京という“水に飢えた獣”支える小河内ダム」
  • (アクアスフィア  橋本淳司)

 


 

 

【ニュースを見る目】

 

奥多摩湖(小河内貯水池)は、多摩川を小河内ダムで堰き止めて造られた人造湖で、周囲45キロ、総貯水量は1億8000万トン。東京都民が利用する水の約2割を供給しています(残り8割は利根川、荒川の水)。

ダム建設計画のはじまりは1926(大正15)年に遡ります。当時、東京府の人口は449万人(「国勢調査」1925年)で、1920年の370万人から大幅に増加しました。その後も同様のペースで人が増えると予想され、それにともない水需要の増加に対応する必要がありました。

東京市会は、「将来の大東京実現を予想し、水道事業上の百年の長計を樹てるべき」と考え調査を開始しました。東京市の水道は、江戸時代の玉川上水を受け継ぎ、多摩川を水源として創設されていました。供給量を増やすことになり、当初、利根川、荒川が水源として検討されましたが、結局、同じ多摩川に水源を求めることになり、上流にダムを建設して大貯水池を設け、ダムによる流水の調節によって生み出された水に頼ることになりました。

1932(昭和7)年、東京市会で小河内ダム築造計画が決定。当初、小河内村は断固反対を表明しました。

しかし、「幾百万市民の生命を守り、帝都の御用水のための光栄ある犠牲である」と再三説得され続けました。ダム問題は衝撃的な事件として、新聞、雑誌に何度も取りあげられ、徳富猪一郎、鳩山一郎、大野伴睦など多くの有識者が、村民への援助と同情を寄せました。

小河内村役場編・発行『湖底のふるさと小河内村報告書』(1938(昭和13)年)には、小河内村長・小澤市平の決断の苦渋がにじみ出ています。村長は「帝都の御用水の爲め」に断腸の思いで先祖代々の土地を差し出した旨を記していますが、さらに、その背景に「戦争へと進む空気」があったのではないかと思われます。報告書には以下のような記述が続きます。

「若し、日支事變の問題が起らぬのであつたならば、我等と市との紛爭は容易に解決の機運に逹しなかつたらうと思ふ。」

小河内ダム築造計画が決定した1932(昭和7)年は満州国成立の年でもあり、1933(昭和8)年には国際連盟脱退、1937(昭和12)年には日中戦争が始まりました。軍人が大規模で招集され、働き盛りの男性が戦地に駆り出され、村や町は「祝出征」の幟旗を立てて総出で送る一方、家庭、工場、農村は働き手を奪われ、国民全員が戦争に巻き込まれていきました。来たるべき対ソ戦、対英米戦にそなえ、国を挙げて戦時体制に突き進むなか、第一次近衛内閣は「国家のために自己を犠牲にして尽くす国民の精神(滅私奉公)を推進する」国民精神総動員運動を始めました。こうしたこととダム建設容認は密接に結びついていたのです。「国のため」という一言に対し、抗いがたい時代の空気が形成されていたのです。

小河内村、山梨県丹波村、小菅村の945世帯もが、東京都奥多摩町、青梅市、福生市、昭島市、八王子市、埼玉県豊岡町、山梨県八ケ岳などに移転を余儀なくされました。とりわけ全村水没した小河内村民は大きな負担を強いられました。当時、東海林太郎が歌った『湖底の故郷』には人々が故郷を離れたときの思いを「夕日は赤し、身は悲し、涙は熱くほおぬらす、さらば湖底のわが村よ」と表現され、全国的に愛唱されたといいます。

工事は1938(昭和13)年に着工されましたが、途中、第二次世界大戦により中断。1948(昭和23)年に再開され、1957(昭和32)年に竣工されました。

こうして拡大する都市は水を得ることができましたが、そこに至るまで複雑な経緯があったことがわかります。戦争へと進む時代に「帝都の御用水の爲め」と犠牲の精神で土地を差し出したものの、1948(昭和23)年、補償交渉が再開された時は、敗戦し民主主義の世の中に変わっていました。占領軍による農地改革が進むなか、小河内村でも農地取得要求の結果として、小河内ダム工事再開反対の声があがり、工事をめぐる行政と住民との紛争が再び再燃し、最終的な決着は1956年(昭和31)年になりました。

移転を余儀なくされた湖底の村の出身者は、東京都民が日の出のような高度経済成長を謳歌するなか、代替地に移住するもなかなか順応できず、窮乏や流転をくりかえしました。作家、石川達三はその様子を「日陰の村」という小説に描いています。

「都市は水に飢えたけもの」という言葉があります。古代から都市は科学技術、経済、芸術の中心であり、文明は都市なくしては存在しなかったでしょう。

しかし、都市は大量の水を周辺から集め、大量の汚水を吐き出す存在でもあります。水の供給と廃水の除去のために都市が必要とするのは、貯水池、水道橋、運河、排水設備などのインフラです。世界中で都市化が進み、いまや都市住民の数は非都市住民を上回っています。そうしたなか巨大なインフラの構築がのぞまれますが、その一方で、都市は周辺から収奪します。水だけではなく、先祖代々から受け継いだ土地、そこに育まれた固有の文化も小河内ダムに沈みました。

「水と空気はタダ」という人がいますが、こうした犠牲を思うと「どこがタダなのか」と思います。都市住民はそのことをもっと深く受け止めるべきです。

 


 

 

【その他の「水」ニュース】