週刊「水」ニュース・レポート    2016年10月13日号

 

 

 

【今回厳選したニュース・レポート】

 

 


「歴史的風致維持向上計画」をご存じですか? なんだかよくわからない言葉ですね。漢字が11個も連っていますし。なかでも「風至」ってなんでしょうか? 辞書によれば、

【風致】:自然の景色などの、おもむき。味わい。

【風致地区】:自然の美しさを保つ目的で、都市計画上特に指定された地域

とのこと。

平成20年、全国における歴史まちづくりの取り組みを支援するべく、「地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律(歴史まちづくり法)」が施行されました。この法律に基づいて国の認定を受けた都市では、国土交通省・文化庁・農林水産省の支援の下、歴史・文化を活かしたまちづくりを進めてきました。

こうした都市は「歴まち」と呼ばれることもあります。

一般的に「歴まち」には、城や神社、仏閣などの歴史上価値の高い建造物、町家や武家屋敷などの歴史的な建造物が残されています。

同時に、工芸品の製造・販売や祭礼行事など、歴史や伝統を反映した人々の生活が営まれることにより、地域固有の風情、情緒、たたずまいを醸し出しています。

 

今回の三島のケースがユニークなのは、市街地の清流が認められていること。

これまで認定される対象は寺社や城跡などの建造物が一般的だったので、三島市のケースは全国的にとても珍しい。

固体ではなく、液体(およびその周辺)が選ばれたというところが、とてもおもしろく、貴重だと個人的に感動しています。

市内を流れる源兵衛川周辺を歩くと、川の流れを見ている人たちに出会います。

楽しそうに話をしているカップル、川面を吹く風を気持ちよさそうに身にまとう人、水の流れをぼんやりと見つめる人。

その表情は、物憂げであったり、懐かしそうであったり、心地よさそうであったり。ときにはわずかに涙を浮かべている人もいます。

人はなぜ水辺に惹かれるのか。なぜ水辺は人を癒すのか。

近代化された都市に暮らす私たちは、狭いエリアに家やビルを建て、固定された生活をしています。

固体に囲まれた暮らしは、安定的ものですが、ときに息苦しくなります。

一方で水は流動的です。流れる川、音を立てて溢れ出す湧水。いずれも動的です。

「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」という鴨長明の『方丈記』の冒頭は「流れていった水は戻ってこない、世界はいつも変化する」という無常観を表現したものです。

『万葉集』にはこんな和歌があります。

天橋も 長くもがも

高山も 高くもがも

月読の 持てる変若水 い取り来て

君に奉りて 変若得しむもの

この歌の意味は、

「天からのはしごが長く伸びていれば、もっと山が高くて頂が天に達していれば、月読(月の神様)がもっている若返りの水をとってきて、愛する人を若返らせてあげられるのに」

というものです。

女性が老いていく男性を若返えらせようと、不老不死の水をもらいに月まで行こうとして「天橋よ、もっと長くなれ。高山よ、もっと高くなれ」と願っています。

日本神話では、太陽の神様である天照大神の弟に、月読という月の神様がいます。その月読は「変若水」(をちみず)という不老不死の水をもっていると考えられていました。この和歌はその伝説を踏まえたものです。

不老不死への憧れは世界共通で、不老不死と水が結びついた話が世界中に残っていて、その多くが次のようなものです。

「太古には人は不死であった。それは神から若返りの水をもらっていたからだ。ところがある日、神の使いが人間の水を届けに行く途中、蛇がその水で沐浴してしまったため、水の若返りの力が消えてしまう。その水を飲んでから、人間は不老不死ではなくなった。一方、蛇はいまだに若返りの力をもっていて、脱皮して若返ったような姿になる」

こういう話はギルガメッシュ叙事詩にも出てくるし、インドネシアやメラネシアにも同じような話が残っていますが、共通しているのは、水が老いた肉体を若い肉体へと変化させる触媒の役割を果たしていることです。

日本には禊という習慣があります。水で身をそそぐから、「みずそそぎ」→「みそぎ」というのですが、水は体の汚れだけでなく、精神的な汚れも落とすと信じられていました。

気持ちのうえで新しい自分になるということで、これも生まれ変わりということになるでしょう。「リフレッシュした」とか「ストレスから解放された」という感想はこれに近く、水が精神的な変化の触媒となっているのだと思います。

水は変化の象徴であり、異世界への入り口です。

固定化された日常に変化をもたらす、期待、不安、畏れの空間です。

ですから私たちが水辺に立つとき、自分の属する世界と、別の世界の両方を感じとることができます。

この世の価値が一つではないことを実感できる場なのです。

水辺に行ったときに解放感を感じる理由も、行き詰まった日常とは違う、変化を感じるからではないでしょうか。

水辺に立つと緊張の糸がゆるみ、こじれた結び目が少しほぐれます。

氷のように凍てついた思いが、わずかに溶け出します。

息苦しさを感じる人、心の痛みをかかえる人の多いいまのような時代には、心の固体を融解させ、わだかまりをやさしく流す水の流れが、まちのなかに必要です。

そういう意味で、三島の水辺が評価されたことは、とても貴重なことだと感じています。