週刊「水」ニュース・レポート    2016年10月19日号

 

 

 

【今回厳選したニュース・レポート】

 

  • 情報過多の時代をどう生きるか。「福島第一原発の廃炉はどうなっているのか?
    開沼博×粥川準二×吉川彰浩『福島第一原発廃炉図鑑』出版記念トークイベント」
  • (「SYNODOS」2016年10月18日)
  • http://synodos.jp/society/18230

 


今回取り上げるのは福島第一原発の現在についてです。

情報を更新して改めて福島を考えてみるとともに、情報過多の時代をどう生きるかについても考えてみたいと思います。

7月13日に横浜・さくらWORKSで開催されたトークショー「ラボ図書環オーサートークvol.37『福島第一原発廃炉図鑑〜編者の開沼博さんに聞く〜廃炉独立調査プロジェクト』」の抄録が「SYNODOS」のページ(2016.10.18 )にまとまっており、全文を読むことができます。

まず、共有したいのが、『福島第一原発廃炉図鑑』が出版の意図です。

開沼博さんは、まず、「情報不足」と「情報過多」が同じように思考停止の状況をつくると述べています。

「多くの方が『福島の問題はよく分からない』『本当の情報は隠蔽されているんじゃないか』と不安や不満を感じています。確かに事故当初、あるいは事故以前の情報隠蔽等は大きな問題でした。私たちの大きな不安・不満がそこから始まっていることは間違いありません。

しかし、時間がたった現在、私たちの不安・不満の源泉はまた別なところにも存在するようになっています。それは情報過多の問題です。情報過多は、意外にも、情報不足、あるいは情報が無い状態とほぼ同じ状態を作り、私たちが議論し民主的かつ事実にもとづいた判断をしていくための受け皿ができることを遠ざけます。」

情報不足と情報過多の例としてあげられるのが汚染水問題です。

「汚染水のデータは隠蔽されている、加工されているというイメージをもっている人が多いのですが、実際には、行政や東電、その他、研究機関や市民団体など含めた組織が膨大な情報を公開し続けています。データは隠蔽どころか、過剰なほどに存在し、整理されぬままに多くの人に検証され、伝えられることなく放置されている」

開沼さんは、情報と知識の違いについて述べています。

「情報があるからといって、それが知識になるかどうかは別。情報が知識として誰にとっても受け取り可能な形に加工されていないのが問題です。まずはそこを繋いでいくために、この本を作りました。」

いくつか具体的なトピックスも紹介します。

1)廃炉の現場はどうなっているのか

「「汚染水対策」「燃料取り出し」そして最後に「解体・片付け」、ここまで終えて廃炉の終了といえます。今の状況は、汚染水対策から燃料取り出しへと徐々に重心を移しはじめようというところです。」(開沼さん)

2)1〜4号機付近の港湾の中、放射性物質セシウム137の量が最も多い地点では、1Lあたり何ベクレルほど含まれているのか

「0.98Bq/L(2016年3月31日発表データ)です。とは言っても、なかなかイメージがわかないかもしれません。たとえば、福島産の米すべてに対して行っている放射性物質の検査の基準は、1kgあたり100ベクレルです。この基準がどの程度厳格かというと、震災前時点の欧米の基準が1kgあたり1200ベクレル程度でしたので、これに対し、10倍以上厳しい基準にしたものです。」(開沼さん)

そのほかについては、全文が「SYNODOS」のページから読むことができますので、ぜひ読んでください。

廃炉作業はまだまだ課題が多く時間がかかります。今回の対談では、当ニュース・レポートで取り上げてきた「凍土壁」や「トリチウム」については語られていません。

科学的にも未知のものが多く、簡単に白黒つけることができません。

情報についても多大なるグレーに向かい合っていかなくてはならないのですが、多くのメディアは白か黒かはっきりしない情報はとりあげません。そうした傾向は私たちにも多分にあります。

だから多くの人はこう言います。

「白か黒か」「私たちがいまやらなくてはならないことは何か」

本当はグレーなのに、結論や行動を急いだら、間違った方向に進むことになります。進まされることになります。

福島の問題は、情報過多の時代のなかで、いかに考えるを私たちに突きつけています。

対談後半の、粥川準二さんの発言を紹介します。

「福島の現状認識といったときに、私はいつもネット上の反応などを見ていて感じることがあります。(中略)それは「情報が隠蔽されているんだ」「ちゃんと公開しろ」というような責任追及を優先する人々と、課題解決のための現状認識を進めようとする人々との間にすれ違いが起きているのではないか、ということです。
ここで問題なのは、責任追及ばかりを優先すると課題解決のための事実関係が軽視されてしまう恐れがあるということ。逆に言えば責任追及を疎かにすると、それに我慢できない人も出てくるのだと思います。」

私たちは情報過多の時代に生きていますよね。

情報のなかには事実、虚偽の事実、意見、伝聞、推測があり、ネットではそれが見分けにくい。

情報は自分のつくった情報を集める箱にめがけて飛び込んでくる。

粥川さんが言うように、「課題解決」という箱をもっている人と、「責任追及」という箱をもっている人とでは、アンテナやキャッチする情報が違います。

結論ありきで情報を収集すれば、結論を強化する情報だけを集めてしまう。SNSは似た情報を共有する人たちでグループ化される傾向があり、共有した情報について強化し、疑うことができなくなる「井の中の蛙」をつくる場所です。

私たちは断片的な情報を受発信することが多く、そのプロセスにおいて、考える機会がとても少なくなっています。受けとった断片的な情報を考えることなく、そのまま発信するという危険な伝言ゲームを繰り返す毎日です。

もっともおろかしいのは既存メディアがネットの後追いをして、アクセスの多い記事や炎上した記事をテレビで取り上げ、さらなるアクセスの増加や炎上に加担する。これはあまり意味のない行為だし、危険なことにもなります。情報の受発信だけでなく行動を伴うからです。

「よい」とされるものに群がり、「悪い」とされるものを徹底的に叩く。誤った情報の信者を集め、信者でないものは魔女狩りにする。犬をどぶに落としみんなで叩くという異常。しかも自分自身は善行だと思って。

身近に中世のような現象が頻発しています。

思うに私たちは「白か黒か決めなくてはならない」、「今すぐ何かしなくてならない」という強迫観念に取りつかれているのではないか。

でも、そんなことはないのです。世の中の99.9%はグレーであり、いますぐしなくてはならないことなどほとんどないのです。

少し落ち着きましょう。苦しいかもしれないけれどグレーをグレーのまま抱えましょう。グレーをじっくり考えましょう。いかに情報過多の時代を生きるかを考えるべきときです。